台湾の歴史、ざっくり簡単にまとめてみた。【その①】オランダ~明の統治時代(1624~1683年)

你好。

私が台湾留学を決めたと友人に報告すると、
タイワンってタイ?」

と聞かれました。

またある友人には
台湾って中国の一部?

とも聞かれました。

どちらも不正解っ!!

台湾は中国でも、中国の一部でもないんです。

日本人の多くは台湾と大陸の関係についてよくわかっていません。
中華人民共和国はわかるけど、

中華民国って何ですのん?

って感じやと思うんですよね。

台湾観光、台湾エステ、台湾グルメはこんなに有名になったのに、
何で台湾そのものの情報って広まらないんだろ?
悲しい(/_;)
せっかく台湾を訪れるなら、
台湾とは何ぞやって事をちょっぴり理解しておくと、旅行も更に面白くなるんじゃないかなーと思いますよ。

Contents

ポルトガルが台湾発見!

15世紀~16世紀、ヨーロッパは大航海時代。
1554年、ポルトガル船が台湾近海を通過した時に船員が偶然台湾を発見!
あまりに美しかったので、
Ilha Formosa(ポルトガル語で「美しい島」の意味)
と叫んだとか。
そのまま「フォルモサ」と名付けられた台湾はヨーロッパに紹介されるようになりました。
中国語では通称「美麗島(メイリータオ)」。
でも形がサツマイモに似ているので
蕃薯島(ファンシュータオ)さつまいも島」なんて呼ぶこともありますよ。
でもポルトガルは台湾を発見してヨーロッパに紹介しただけなんですね。

オランダ統治時代(1624~1662年)

オランダ東インド会社※が明朝が領有していた澎湖諸島を占領した後、1624年に大員(現在の台南)を制圧してゼーランディア城という要塞を築きました。同時期にスペインが北から進出してきましたが追放して、台湾はオランダの一大拠点に!
そしてオランダは、台湾に中国(主に福建省や広東省沿岸部)から大量の漢民族を労働力として募集し土地開発を進めます。

台湾の原住民がオランダ人を「Tayouan」(現地語で「来訪者」の意)と呼んだことから
台湾Taiwan」という名称が誕生したという説もありますよ。

ですが、ここで大事件が
明朝が滅亡しちゃうんです!!
1644年の事でした。

オランダ東インド会社とは

1602年にオランダで設立。世界初の株式会社といわれる。喜望峰以東における条約の締結権、軍隊の交戦権、植民地経営権などの特権を与えられた勅許会社で帝国主義の先駆け。アジア交易や植民に従事し一大海上帝国を築いた。




明の鄭成功時代(1662~1683年)

1644年李自成の反乱で明朝が滅亡し、満州族の清朝が進出。
反清復明(清に反攻して明を復活させる)の旗印を掲げて清朝に対抗していた鄭成功は清朝対抗拠点とするために、1662年オランダ東インド会社を攻撃して台湾を統治しました!
史上初めての漢民族による統治です!

鄭成功は台湾を「東都」と改名し、現在の台南市辺りを根拠地としながら台湾の開発を進めます!
が、なんと1662年に病死。
息子たちもがんばりましたが清の攻撃に耐えられず、結局3代で統治は終わってしまいます。
 

↑ 台南の鄭成功像

鄭成功が統治した期間はとても短いのですが、
台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を進める基礎を築いた事から、
孫文や蒋介石に並んで「三人の国神」と尊敬されるヒーローです。
清との戦いの際、たびたび江戸幕府へ軍事支援の申し入れをしていた鄭成功。
戦況が思わしくなかった為、江戸幕府は支援はしませんでした。
でも、なぜ江戸幕府・・・?
実は鄭成功、ハーフです!
日本の平戸にて、貿易商の鄭芝龍さんと日本人の田川マツさんの間に生まれた日本人とのハーフだったんです!
日台ハーフ鄭成功さんのお話、なんと近松門左衛門さんによって「国姓爺合戦」として人形浄瑠璃になっており、後には歌舞伎にも!
何だか教科書で聞いたような名前ですよね。
なので日本との関係はとても深いんですよ~。

台湾旅行に行くなら歴史を知っておくと旅行がさらに充実しますよ

というのは本当です。
なんで???という場面で歴史認識があると、あー、なるほどね、とうなずけますよ。

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